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酸模―秋彦の幼き思ひ出―:解釈(4=了)

5)人知れず死んでいる"父"

 ここのところの父(脱走囚)の退場シーンは悲しいですね。いまや同じ父の立場であるワタクシしては、なおさらであります。

 しかも、紅い夕陽と酸模の赤い花、そして地面に落ちた花が「赤く赤く燃えた」(p.26)という描写の重なりにより、なんだか"父の血"を連想してしまう。落日イメージもまた、周縁へ、終焉へと向かう男の姿を増幅している。

 実際、アッサリと男は死んでしまいます(涙)。

 最終シーンではすでに数十年が経過していて、脱走囚は人知れず墓に入っている。「秋彦はもう忘れてゐるに違ひない。」と妙に客観的な書き方が気になる。「秋彦はその男のことをすでに忘れてゐた。」ではない。

 秋彦の自我は著者(書き手、ひいてはそれに従う読者)からも自立していったかのように思える。(ちょっと深読みかも知れないけれど、こういうディテールを見つけると文学的表現の奥深さを改めて思い知るのだ。)

 存在が忘れられ、小さい墓に静かに収まった"父"とは対称的に、秋彦は力に溢れた世界、生命の世界に開かれている。

 生きる力の漲る青田の彼方に、逞しい火山がもくもくと黒煙をふいてゐた。(p.27)

 いまや秋彦が逞しい男になった。果敢な現実に立ち向かう男に。悲しさと罪を内包しつつ生きなければならない現実世界へ、秋彦は進んでいく。

 そうした情景が、作品の冒頭にある白秋の詩(仄かなもの)に繋がっているのではないか。
 
(この項、了)
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銘記せよ! 三島語録
(…)われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながらみてゐなければならなかつた。(…)
「檄」楯の会隊長 三島由紀夫
保阪正康『三島由紀夫と楯の会事件』(角川書店[文庫版]、2009年)p.19より引用
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