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酸模―秋彦の幼き思ひ出―:解釈(3)

4)和解の輪に入らなかった母

 こうして脱走囚は、光であり「神」である秋彦との出会いによって救われた。囚人は刑務所に戻る。

(全然本筋とは関係ないけど、ここのシーンで「私は[※感情に流されやすいため]弱い弱い、女のやうな心の持主でした」とあるのは、とてもじゃないが今日ではNGだよね…。ついでにp.22の「あの丘に行きたくつて■■のやうになつてゐるんですもの」もそうですな=笑)

 理性と感情、闇と光の対立が止揚され、囚人の人相はすっかり変わった。丘の動植物が再び輝きだし、季節がめぐっていく。

 そして1年後、囚人が刑期を終えて刑務所の門を出ると、そこには秋彦ら子供たちが待っている。

 顔が見える。男が出て来る。
 面を輝かせて――そこにも光がある。
 おゝ子供達が飛びついて行く。彼等は、緑に坐る。
 さんらん!
 酸模、
 酸模!

 …といった具合に、ハッピーエンドになりかける。(p.24)

 しか~し、そこに母親たちが登場する。彼女らの姿は「黒い塊」で、近づく足音は冷ややかと表現されており、父と子の再会と和解に水を差す存在というイメージが増幅されている。

 子供たちは男から引き離される。そして男は「なんて汚らはしい」と(一応、刑期は終えているんですが…)非難される。

 ここで興味深いのは、子供たちに酸模の花を与えて男が去っていくとき、母親たちの目には「泪のやうなものが、眼底から湧き上がつて来た」とある点だ。母親もなにか感じるところがあったのだ。実は一緒に和解の輪に入りたかったのかもしれない。

 だが結局、酸模は捨てさせられ、夕陽に焼きつくされてしまう。父と子の和解は達成されたけれども永続はせず、父は舞台から去っていく。

(つづく)
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銘記せよ! 三島語録
(…)われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながらみてゐなければならなかつた。(…)
「檄」楯の会隊長 三島由紀夫
保阪正康『三島由紀夫と楯の会事件』(角川書店[文庫版]、2009年)p.19より引用
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