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酸模―秋彦の幼き思ひ出―:解釈(1)

 学習院中等科に入った翌年、満年齢で言えば12歳13歳で発表した初めての小説。短編だが、中学生がこれを書いたのかと思うとちょっとゾッとしてしまうところもある。高度な観察力と象徴性のなかに、時折、病的な暗さが差し込むような作品である。

 本題の「父・母・子」という観点からこの作品を見てみよう。


1)父の不在

 主人公は6歳の秋彦。彼の母は最初の段から登場する。

「灰色の家[※刑務所のこと]に近寄っては不可(いけ)ません!」(p.9)

 この母親は、他の子供たちの母親ら3,4人とともに最終盤にも登場する。ここでも母親たちは"禁止する存在"である。

「何ですか、囚人なんかにさはつて、まあ汚いこと」[中略]
「―お捨てなさい!―」母の声は強かつた。酸模の花は斜陽に燃える上に落ちた。(pp.25-26)

 この母親は若く、美しく笑う存在(p.10)であるが、上の禁止からも分かるとおり、世間的な常識や月並みな美の世界の側に立つ存在であるとも言える。

 その一方で、秋彦の家からは父の存在が消去されている。

 この家で母親の他に登場するのは「女中」と「爺や」であって、父の存在は全く言及されていない。死んだとも、離婚したとも、家を顧みずに仕事に邁進するだけの存在だとも、とにかく一言も書かれないのである。


2)"父"としての脱走囚

 代わりに、父イメージを付与されているのが「男」すなわち脱走囚である。そして彼のもつ父イメージは、ずっと後の登場になるが「刑務所長」「警部」に引き継がれていく。とりわけ「警部」のほうはむかし前科者で(…マジかよ!)脱走囚の理解者・代弁者であると言っていい。   

 実際、この脱走囚には子供がいた。

「俺にも子供があつたよ。丁度坊やみたいに可愛い子だつた。だが、今は……」(p.17)

 ナント、脱走囚(父)がこの子供を殺したのだという。明確には書かれていないけれど、この罪で服役していたわけだ。嗚呼、末法の世ですな。

 この子供が秋彦に似ているという点からも、脱走囚と"秋彦の父"がイメージの上で重ねあわされる。そしてまた、殺された子供の母(つまり囚人の妻)の存在が一言も触れられないことが、この連関を強化していると言ってよい。

 二人は刑務所のある丘で、夕闇のなか出会う。秋彦は母の禁止を逃れ、「そうつと勝手口から」外に出てこの丘にやってきた。青空の下で喜び笑い、世界のダイナミズムを感じている。囚人もまた灰色の刑務所から脱走し、身体的に自由になっている。しかしその丘は同時に魔の場所であり、帰り道が分からなくなる森の中であり、凶器を取りに帰ろうと思わせる場でもある。

 酸模の丘は、その平和そうな植物描写とは裏腹に、父と子の二人が出会い、光と闇、理性と感情が激突するバトルフィールドであると言えるのではなかろうか。  

(まったりと、つづく)
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銘記せよ! 三島語録
(…)われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながらみてゐなければならなかつた。(…)
「檄」楯の会隊長 三島由紀夫
保阪正康『三島由紀夫と楯の会事件』(角川書店[文庫版]、2009年)p.19より引用
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