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「館」:解釈(5)

 さて、登場人物の静態的な配置は以上でよいだろうと思う。次に物語の動因というか、物語がこの配置からどのように動いて、その結果として「ナニガイイタイノ?」というところに迫ってみたいと思う。

 すでに殿さま、女料理人が最終場面で"聖なる婚姻"をすることは言及した。殺人によって2人は結ばれたのだ。そして「手前」はそこから生まれた"子"になって…というところは(未完)の部分を補充する作業であり、物語自体からは離れる。繰り返しで恐縮だが、ワタクシによる解釈の最終妄想として、引き続きとっておく。

 さて、その"聖なる婚姻"の前提となる対立構造が重要である。これは図に示したように「殿さまの血筋」対「まりあな家の血筋」であると同時に、「父系(男系)の伝統」対「母系(女系)の伝統」と読み替えることもできる。

 しかし、それより大きな対立構造がある。言うまでもなく、神をめぐっての殿さまと奥方の論争だ(pp.80-86)。これは無神論対有神論の対立でもある。

「殿さまの血筋」と「まりあな家の血筋」は「あぶらとみづ」(p.76)だと言いつつ、それ以上の形而上的対立構造がここに隠されている。いやむしろ「殿さま」VS「女料理人」というのは、この大きな神学論争のあくまで現世的な縮図として措定されているに過ぎない…とワタクシは見る。

 2人の論点をまとめてみよう:

■奥方
殿さまのやっていること(処刑)は罪。殿さまは心が蝕まれている。快楽に走るのは罪深いこと。
神は全能で、善悪を超越した存在。殿さまは恐ろしい罰を受けるはず。

■殿さま
現世の営みは快楽。快楽がない人間は抜け殻。奥方の信奉する宗教も快楽のひとつ。自分は宿命に従っているだけ。
神がいるならば、彼こそ罪びとであり偽善者。しかし今の世に神はいない。神とは偽善者・人間がたてまつった「心の偶像」なのだ。

===
(※嗚呼、早くこの血塗られた館を抜け出さないとまだまだ物語があるのに。でも、抜けたところでまた別の血塗られた館が何十と待ち構えているのだろうな=笑)
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銘記せよ! 三島語録
(…)われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながらみてゐなければならなかつた。(…)
「檄」楯の会隊長 三島由紀夫
保阪正康『三島由紀夫と楯の会事件』(角川書店[文庫版]、2009年)p.19より引用
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