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「館」:解釈(3)

 さて、この「背徳のトライアッド」は物語全体で何をなすか。

 問われれば、「父・殿さまが母・女料理人を殺すことにより"聖なる婚姻"がなされる」と答えよう。クライマックスで女料理人が殺されるのは王妃の椅子の上なのだ(逆に、この段階で実の王妃は舞台から退いてしまっている)。

===
 殿さまがおひつかれて、女を刺された場所は、その椅子[※王妃の椅子]の上でござりました。
(…)まだ息をひきとらず手と足をだらりとたれ、赤くなめらかに血を流してをりました。そのうへには、「王者の妻」の冠のしるしが金色にかゞやいてゐたではござりませぬか。(p.98)
===

 そして女の「矜持の歴史のをはりがいかに華やかにかざられたか」(同頁)と述べられている。

 つまり、女料理人は殺されることで擬似的にせよ王妃になったのである。ここですでに三島文学のパターン「何か美しいもの(それ自体は静態的な美)が壊されたり傷つけられたりするときに、その美が最も輝く」というのが出てきている。
 これは「金閣寺」や「奔馬」とも、また「仮面の告白」での聖セバスチャンの殉教などとも同じパターンである。

 料理番に身をやつした「まりあな家」の娘。彼女は矜持を胸に生きのびて、最後は王妃の椅子の上で犠牲の子羊となってその血を燦然と輝かし、「華やかに」死んだのである。

 そしてこの象徴的婚姻から生まれたのが"子"、すなわち「手前」(語り手の老人)であるとワタクシは解釈する。

 だが、ここからはこの物語の(未完)という領域に関わる推測になってゆく。たいへん興味深いところではあるが、この部分は解釈の最後に改めて立ち戻ってくることにしよう。
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銘記せよ! 三島語録
(…)われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながらみてゐなければならなかつた。(…)
「檄」楯の会隊長 三島由紀夫
保阪正康『三島由紀夫と楯の会事件』(角川書店[文庫版]、2009年)p.19より引用
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